認知バイアスを見える化して「ヒヤリ」を減らす実践ガイド
はじめに:なぜ安全に「心のクセ(認知バイアス)」が効くのか
工場の安全衛生活動は、設備・作業標準・教育・保護具といった“物理的対策”だけでは完結しません。人の判断・注意・行動が最後の砦になるからです。
ところが私たちの判断は必ずしも合理的ではなく、認知バイアス(無意識の思い込み)に左右されます。例:
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「いつも大丈夫だったから今回も大丈夫」(正常性バイアス)
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「自分だけは事故を起こさない」(楽観バイアス)
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「上司が言うから正しい」(権威バイアス)
工場での安全衛生管理において「認知行動治療(CBT)」を直接適用するのではなく、労働者の不安全行動を改善するために、認知行動療法で培われた考え方を応用したアプローチが有効です。具体的には、労働者の「ものの考え方(認知)」に焦点を当て、不安全行動の背景にある認知の偏りを修正することで、労働者が安全行動を自発的に行うように促します。
本記事は、これらのバイアスをCBT(認知行動療法)の考え方で“見える化→検証→修正→行動”につなげ、安全衛生KPIの改善に直結させるための、初心者向け実践マニュアルです。
CBTの超入門:安全に使うための最小セット
CBT(認知行動療法)は、人の認知(考え方)が感情や行動に影響するという前提で、偏った認知を修正し、安全な行動に結びつける方法です。臨床の技法を職場向けに“軽量化”して使います。
最小モデル(状況→自動思考→感情→行動→結果)
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状況:フォークリフトが接近
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自動思考:「いつも大丈夫」
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感情:安心しすぎ
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行動:通路を横切る
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結果:ニアミス
→ 代替思考:「慣れでも事故は起きる。停止・確認・合図」
→ 新しい行動:一旦停止→指差し確認→合図
現場で使う3つの技
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気づき:自動思考を書き出す(思考記録)
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検証:根拠・反証・別解を問う(ソクラテス式質問)
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行動実験:安全手順を“試して”結果を確認(小さな実験)
安全文化との両輪
CBTは「心の話」ではなく、手順・データ・教育とセットで回すもの。KY(危険予知)、5S、TPM、LOTOの“間”に挿す意識で。

CBT基礎
工場での安全衛生における認知行動療法の具体的な対策
工場で認知行動療法を直接行うわけではありませんが、その考え方を応用した具体的な対策は以下の通りです。
不安全行動の根本原因の把握
事故やヒヤリハットが発生した際、単なる不注意として処理するのではなく、労働者の「その時の考え方」や「周囲の状況」を分析し、不安全行動に至った認知の偏りや要因を特定します。
例:遅刻しそうな焦りから「安全確認を省略しても大丈夫」と考えてしまった、といった認知の背景にある要因を分析します。
認知の修正と安全行動の促進
労働者への安全教育において、単にルールを指示するのではなく、認知行動療法の考え方を用いて、不安全行動を誘発する認知を自覚させ、より安全な行動に繋がるような新たな考え方(認知)を獲得するよう促します。
例:「あの作業をすると事故が起きるかもしれない」といった漠然とした不安を具体的な危険性として認識させ、適切な安全対策を取るよう促します。
作業手順書の整備と指差呼称の徹底
認知の偏りを防ぐため、作業手順書をより分かりやすく整備し、労働者が作業手順に従って安全に行動できるよう支援します。
指差呼称を徹底させることも、作業中に労働者の意識を安全な状態に保つための重要な手段となります。
メンタルヘルスケアの推進
労働者のメンタルヘルスケアを推進する中で、ストレスチェックの活用やメンタルヘルス研修などを通じて、セルフケアとラインによるケアを継続的に行い、労働者が心身ともに健康に働ける環境を整備することも、不安全行動の低減に繋がります。
これらの取り組みを通じて、工場における労働災害を未然に防ぎ、より安全な職場環境を構築することができます。

工場での安全衛生における認知行動療法の具体的な対策
工場での安全を妨げる認知バイアスを把握
初心者がまず押さえるべき工場での安全を妨げる認知バイアスを解説
危険を見誤る系
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正常性バイアス:異常音・小さな漏れ→「いつものこと」
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例:軽微なガス臭を報告せず運転続行
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正常性バイアス
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楽観バイアス:「自分は大丈夫」
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例:PPE(一時的だから)未着用
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楽観バイアス
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利用可能性ヒューリスティック:直近の事故だけ過大評価 or まったく起きてないと油断
利用可能性ヒューリスティック
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代表性ヒューリスティック:「前も軸ずれだった→今回も同じ」原因早合点
代表性ヒューリスティック
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過信効果(オーバーコンフィデンス):「経験豊富だから間違えない」
過信効果
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フォーカス効果:生産優先で安全サインを見落とす
フォーカス効果
変化を嫌う・誤った合意に流れる系
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現状維持バイアス:新手順・機器導入を拒む
現状維持バイアス
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バンドワゴン効果/同調バイアス:会議で多数派に追従
バンドワゴン効果
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権威バイアス:上位者の判断を無批判に採用
権威バイアス
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サンクコスト効果:危ない旧設備を「ここまで直したから」と使い続ける
サンクコスト効果
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フレーミング効果:
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「事故削減率90%」vs「事故が1割残る」で受け止めが変わる
フレーミング効果
判断の偏り・責任の捉え方
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確証バイアス:自分の仮説(原因)に都合の良いデータだけ集める
確証バイアス
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後知恵バイアス:「起きると思ってた」→学習が進まない
後知恵バイアス
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自己奉仕バイアス:成功は自分、失敗は環境のせい
自己奉仕バイアス
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公正世界仮説:被災者を「注意不足」と責めて終わる
公正世界仮説
ポイント:**“名前を付けて呼べる”と気づける。まずは現場掲示に「今日のバイアス」**カードを貼るだけでも効果。
CBTで直す:7ステップ実践フロー
7ステップ
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S(Situation)状況:何が起きた?(客観)
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T(Thought)自動思考:その瞬間、頭に浮かんだ言葉は?
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E(Evidence)根拠:賛成・反対の証拠は?データは?
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A(Alternatives)別解:他の見方は?最悪/最良/最頻は?
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R(Reframe)再評価:最も現実的で役立つ捉え方は?
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P(Plan)行動計画:If-Then(もし〜なら→こうする)で手順化
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L(Learn)学び:結果と気づきを共有→標準へ反映

CBT 七ステップ
思考記録シート(安全版テンプレ)
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①状況(日時・場所・工程・相互作用)
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②自動思考(そのまま書く)
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③感情(0〜100%)
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④根拠(賛/否)(メータ、管理図、点検記録)
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⑤代替思考(短く、行動指示に近く)
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⑥If-Then:「もしフォークが接近→一旦停止+指差し+アイコンタクト」
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⑦結果(行動・気づき・次の標準化)
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思考記録シート(安全版テンプレ)
30秒CBT(現場向けミニ版)
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止まる(呼吸1回)→問う(本当に?他の可能性?)→決める(最小安全行動)
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合図:「STOP → THINK → DO」をポケットカード化

30秒CBT
工場現場でのCBT活用ツール
朝礼(ツール:バイアス・ビンゴ)
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本日のKYT(危険予知)で想定されるバイアスを1つ選び、回避If-Thenを班で作る
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例:正常性バイアス→「異音を感じたら“気のせい”と言わず上長に即報告」
指差し呼称+CBT
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呼称文に代替思考を埋め込む
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「見えている=安全とは限らない。停止→左右→合図、よし!」
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KY(危険予知)カード
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危険源の下に**「自動思考→代替思考」**欄を追加
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例:
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自動思考:急いでるからショートカット
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代替思考:遅延より災害コストが大きい→正規ルート
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ニアミス報告を行動実験化
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「この手順を1週間やって、ニアミス件数がどう変わるか?」
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結果を可視化(管理図)→有効なら標準化

工場安全衛生の基本知識
ケーススタディ5選:ヒヤリ・不安全行動をCBTで改善
ケース1:異音を“普段通り”と解釈(正常性バイアス)
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状況:減速機から異音、運転続行
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自動思考:「前も大丈夫だった」
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検証:振動計・温度ログ→基準超過
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代替思考:「小さな異常は大事故の予兆」
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If-Then:「異音→即停止→保全呼び出し」
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結果:早期にベアリング交換、ダウンタイム最小化
ケース2:PPE軽視(楽観バイアス)
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状況:短時間作業で手袋未着用
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自動思考:「ちょっとだけだから」
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検証:過去傷害データ→短時間作業の方が事故率高
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代替思考:「短時間こそ油断の罠」
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行動実験:PPEチェックをペア確認に変更
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結果:軽微外傷が半減
ケース3:原因の早合点(代表性+確証)
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状況:リーク発生→「前回と同じ部位」
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検証:特性要因図→締結トルク不良が主因
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代替思考:「似て非なる不具合を疑う」
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行動:二人トルク監査+トレーサビリティ
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結果:再発率1/6
ケース4:多数追従(バンドワゴン/同調)
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状況:安全会議で一案に集中
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介入:反論役をローテーション指名
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代替思考:「異論は“危険の芽”を拾う資源」
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結果:代替案採用で搬送ルートの交差解消→接触リスク減
ケース5:旧設備への執着(サンクコスト)
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状況:修繕費累積>更新費
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代替思考:「過去コストでなく将来安全コストで判断」
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行動:更新投資→停止時間と傷害率が改善

ヒヤリ・不安全行動をCBTで改善
テーマ別 工場現場でのCBTの改善事例
PPE(保護具)
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バイアス:楽観/現状維持/フォーカス(作業速度)
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CBT実装:
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朝礼で「短時間作業ほど危険」データ提示
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If-Then:「作業場に入る→PPE点検→着用セルフィー」
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行動実験:ペア点検の導入効果を比較
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フォークリフト・搬送
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バイアス:過信/正常性
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CBT実装:
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「視認=安全」の思い込みを再評価
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If-Then:「交差点→一旦停止→指差し→クラクション」
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化学物質
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バイアス:利用可能性(過去事故なし→油断)/権威(指示だからOK)
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CBT実装:SDSの根拠を読み合わせ→仮想事故で再評価
熱中症
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バイアス:楽観/後知恵
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CBT実装:自覚症状の自己記録+同僚チェック→「感じない=安全ではない」を教育
LOTO(エネルギー遮断)
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バイアス:フレーミング(「時短」訴求)/サンクコスト
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CBT実装:時短より致命災害回避の数値差を提示→If-Thenでロック手順を定型化

工場現場でのCBTの改善事例
工場現場でのCBT 導入ロードマップ
フェーズ1(0〜30日):教育と見える化
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上長・安全担当にCBT基礎(2h)
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各班に**“今日のバイアス”ポスター**
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思考記録ミニシートを1日1件提出
フェーズ2(31〜60日):パイロット実験
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班ごとに1テーマ選び、If-Thenを設計
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ニアミス件数・PPE逸脱率をBefore/Afterで測定
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成果を朝礼で共有(心理的安全性の演出が要)
フェーズ3(61〜90日):標準化・横展開
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効果のあった代替思考を作業標準に追記
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反論役制度・ペア点検を標準会議体に組み込む
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他ラインへ展開計画と教育日程
測定と改善:安全KPI×CBT指標の設計
ラギング指標(結果)
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休業災害度数率、重大災害件数、損失工数
リーディング指標(先行)
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思考記録提出率
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If-Then遵守率(スポット監査)
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反論役の発言数/代替案採択率
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ニアミス報告密度(人時あたり)
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PPEペア点検達成率
重要:CBTはまず“先行指標”を動かす。先行→結果のタイムラグを前提に評価。
よくあるつまずきと対策Q&A
Q1. 心理療法なんて現場に馴染む?
A. 用語は出さず「判断のクセ点検」として導入。30秒CBTから始める。
Q2. 書くのが面倒で続かない
A. チェック式ミニシート+口頭共有。成果が出たら標準へ。
Q3. 反論役が言いづらい
A. ローテーション指名+発言を褒める文化。指摘はデータ基準で。
Q4. データがない
A. ニアミス・PPE・停止・温度など小さく測る。記録形式は写真・カウンタもOK。
Q5. 効果が見えにくい
A. 先行指標を週次で可視化。1〜3か月の遅れを前提に判断。
まとめ:明日からの一歩チェックリスト(印刷推奨)
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朝礼で今日のバイアスを1つ宣言
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班でIf-Thenを1本だけ決める
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30秒CBT(止まる→問う→決める)を作業前に実施
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ニアミスを**“行動実験”**として可視化
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反論役を回す/ペア点検を始める
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週1回、思考記録から“学び”を標準へ反映
付録A:朝礼ミニ台本(2分)
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「本日のテーマは正常性バイアス。小さな異音も兆候です。
もし異常を感じたら→停止→上長に連絡→一次隔離。
先週の事例でダウンタイムを回避できました。今週も徹底しましょう。」
付録B:CBT思考記録ミニ(配布文例)
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状況/自動思考/感情%/根拠(賛・否)/代替思考/If-Then/結果・学び
付録C:反論役カード(会議用)
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「反対仮説は?」「別の原因3つ?」「最悪ケースは?」
最後に
安全衛生は、設備と手順だけでは守り切れません。認知バイアスという“見えない危険”をCBTで見える化し、小さな再評価→小さな実験→標準化のサイクルに組み込む。
それが、工場の安全文化を一段引き上げ、ヒヤリを未然に断つ最短ルートです。今日から一つのバイアスに名前を付け、If-Thenを一本。ここから始めましょう。
下記の記事も参考になりますのでご確認 願います。
関連記事:認知バイアスとは?工場の意思決定を改善する方法

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